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日本での幸せライフレシピ

コロナ禍のベトナム Vol.1

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)という言葉にまだ馴染みのなかった昨年1月14日、ダナン国際空港でウイルス性肺炎の疑いが濃厚な中国人2人が見つかった。現地からの報道によれば、2人とも中国・武漢からの観光客で、すぐさま隔離施設に送られたという。

その2週間後、ベトナム国内の感染者が5人(ベトナム人3人、中国人2人)に増え、ベトナム政府は中国人の往来、在住を厳しく制限する措置を取った。新規の入国者は原則的に認めないだけでなく、観光客やビジネスマンにも早期の帰国を督促したとされる。

ベトナム政府の水際作戦の徹底ぶりを、筆者はホーチミンのタンソンニュット空港で目の当たりにした。中国人向けの入国制限実施から間もない2月4日のことだった。

入国審査カウンターの前で並んでいたところ、近くで座り込む人たちの長い列が見えた。頭を抱えていたり、スマホを持ったまま固まっていたりする人がほとんどで、集団で入国を止められているとしか思えなかった。集団の中で飛び交っている言葉は、中国語だった。

翌日、ダナンのホテルで従業員から聞いた。「ベトナムに来ている中国人は1月末で出ていってもらい、入国も今月からシャットアウトになりました。この街にはいま、中国人観光客はいません」。実際、日中のダナン中心部では中国人どころか、旅行者らしい外国人はほとんどいなかった。街全体の経済が外国人観光客に支えられているダナンにとって、最も上客であろう中国人の締め出しは、大きな痛手だったに違いない。

その後、ダナンやハノイ、ホーチミンなどでロックダウン(都市封鎖)が実施されたが、ベトナム国内の感染者数はこの1年で約1500人。。不法入国者や勝手に隔離施設を抜け出したケースを除き、最近は市中感染も報告されていない。

昨夏までハノイの日系企業で働いていた日本人女性は、昨年4月のロックダウン(3週間)を現地で経験した。配車タクシーがストップし、スーパーマーケットで一時品薄状態になった。「人に会えない寂しさはあったけど、スーパーの品数はすぐに回復したし、そんなに辛いとは思わなかった。いま思えば、ベトナム政府は上手にやったんだと思う」と、この女性は評価する。

ただ、水際作戦が成功しているということは、多くの外国人にとっては高いハードルが待っていることを意味する。入国する際にはそれなりの手間暇やコストが必要だろう。

こんなケースがあった。

ベトナム南部にある日系企業で働く日本人役員が昨夏、日本から帰社すべく、書類をきちんと申請した上で入国し、隔離施設での14日間の「ホテル生活」に臨んだ。原則的に部屋から出られないのは仕方ないにしても、3度の食事はホテルマンが持ってくる弁当のみで、外部からの差し入れはNGだった。隔離中に1度だけ、社内会議に出席するため外出を認められたが、後日、当局の担当者が同社の社長を訪ね、「この人は間違いなく、この日にやってきましたか? その会議には誰が同席していましたか? 同席者の連絡先は?」などとチェックして帰ったという。「ここまで厳しいとは思わなかった。事実上の『外国人お断り』政策としか思えない」と、この社長は腕を組むしかなかった。

ベトナム経済の回復は、そこまで厳しくコロナ対策をやったがゆえ、とも言える。

ネット情報誌「ベトジョー」は昨年11月20日付配信記事で、ホーチミン市の不動産市場の回復ぶりを紹介。今年のテト(旧正月)までが「市場回復のピーク」というホーチミン市不動産協会の分析を伝えた。国内富裕層などベトナム経済を回すプレーヤーたちの快走ぶりを想像させる記事だった。

私権の制限や文化、歴史をめぐる国情の相違はいかんともしがたい。でも、この彼我の違いを直視すればするほど、国難に直面したベトナム政府のスピード感覚や方向感覚が際立ってくる。国のハンドルを握る人たちに必須の感覚であるはずなのに、日本の政治家や官僚を見ていると「仮免許」もしくは「無免許」が目立つ。期せずして、コロナ禍であぶり出されたようなものだが、さて、ベトナム人にはどのように映っているのだろう。


のじま・やすひろ 新潟県生まれ。元毎日新聞記者。経済部、政治部、夕刊編集部、社会部などに所属。ベトナム好きが高じて1997年から1年間、ハノイ国家大学に留学。2020年8月、一般社団法人日越協会を設立。現在、同協会代表理事・事務局長。

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