A Recipe for a Happy Life

日本での幸せライフレシピ

食事 Vol.2

ベトナムの歴史は、侵略国との戦いの連続だった。

中国とは約1000年も宗主国と属国の関係だったし、19世紀後半には仏領インドシナの一部となり、太平洋戦争が始まると日本が武力進駐したうえ、終戦後はフランスが再統治を狙って攻め込んだ。やっとのことでフランスを追い出したと思ったら、今度は、米国が代わりにやってきて、武力で国土を蹂躙した。

でも、外国に支配される時間が長いほど、支配者たちの文化、風俗は否応なく、生活の細部に染み込んでいくものらしい。特に若者、子どもたちの世代に旧支配者たちへの拒絶反応は、いまや皆無に近い。

数々の侵略国がベトナムに残した最大の「置き土産」は、なんといっても食文化だろう。

ベトナムのニワトリは地鶏が多いので、肉質がいい。焼き鳥、ソテー、鳥鍋などなど、どんな食べ方でも満足できる。親鳥が健康なら、卵もおいしいというわけで、ケーキ、アイスクリーム、フランスパンは、どこで食べても驚きのおいしさだ。

お勧めは、何と言ってもフランスパンである。

コロナ以前のハノイで、筆者の定宿は旧市街の外れの安ホテルだった。外国人旅行客が多いエリアで、自転車のおばちゃんたちが売りに来る。ベトナムのフランスパン(一本200円前後)はバターの風味が濃く、ジューシーで柔らかい。午後になると少し固くなるので、「早めに買うのがコツよ」と定宿の女将に教わった。

ダナンのサンドイッチスタンドで買ったフランスパンも絶品で、チリソースとハム、キュウリ、オムレツなどのコンビネーションが抜群だった。ちなみに卵とミルクを入れたエッグコーヒーとフランスパンの組み合わせは、いくらでも腹に収まってしまうので、太り気味の方はご注意を。コロニアル様式の洋館と並び、パンとコーヒーはフランスがインドシナに残した最大の「功績」かもしれない。

ダナン市内のサンドイッチスタンド。絶品だった (2019年2月、同市内で筆者撮影)

自転車のおばちゃん相手の買い物では、外国人は大概、ぼったくられる。ただ、皆がみな客の足元を見るわけでもなく、優しいおばちゃんも少なからずいる。真夏のある時、旧市街の路上でおばちゃんに捕まり、売れ残ったパパイア6個を「5万ドン(約250円)でどう?」と誘われた。酷暑の中を自転車に揺られ続けた6個は完全に「蒸しパパイア」状態だったので断ろうとしたら、「じゃ、2万ドン(約100円)でいいわ」とまけてくれた。

自転車のおばちゃんがふっかけてくれば、客のおばちゃんも負けじと意気込んで買い叩こうとする。正札のない商いが長く続いたベトナムでは、それが当たり前だったし、売る方も買う方も、相手になめられては生活にならない。ベトナムの値切り交渉はいまでも、白刃を切り結ぶような真剣勝負(?)と相なる。

アイスクリームについてもご紹介したい。ハノイなら、市中心部を東西に走るチャン・ティエン通りにあるアイスクリーム店が有名で、市民に親しまれている店だ。若者たちのデートスポットにもなっていて、恋人を前に熱くなった頭をアイスで冷やし、それから近くのホアンキエム湖畔を歩いて愛をささやくうち、またのぼせ上がって・・・というわけで、微笑ましい光景の舞台でもある。

抗仏、抗米の戦争を主導したベトナム建国の父で、初代国家主席のホー・チ・ミンがコックとして雇われた船で国を離れ、フランスへ向かったのは、いまから110年前。パリやニューヨーク、ロンドンで暮らしながら指導者としての才覚を磨いていった彼は終生、質素な暮らしを続け、国民の貧しい食卓を案じていたという。

経済発展で食生活が大きく変わった結果、糖尿病や高血圧、高脂血症の患者がベトナムでも増えている。終生痩身だったホー・チ・ミンがお腹の突き出た国民を見たら卒倒するかもしれないが、健康を害さない程度に、死ぬまでベトナム料理を食べ続けられたら、と思う。

◆トップ写真:
ダナン市内のミーケービーチのそばで (2019年2月、同市内で筆者撮影)


のじま・やすひろ 新潟県生まれ。元毎日新聞記者。経済部、政治部、夕刊編集部、社会部などに所属。ベトナム好きが高じて1997年から1年間、ハノイ国家大学に留学。2020年8月、一般社団法人日越協会を設立。現在、同協会代表理事・事務局長。

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