A Recipe for a Happy Life

日本での幸せライフレシピ

アオザイ

初めてベトナムに出張した1991年8月、ホーチミン市中心部(旧サイゴン)のホテルに投宿した。忙しくて夕食を食べ損ねた最終日の夜、ビールが飲みたくなってホテルのレストランに行くと、客は誰もいない。カウンターの中に、白いTシャツを着た、背の高い女の子が1人で立っていた。

たどたどしい英語でビールを頼むと、女の子もたどたどしい英語で答え、缶ビールと乾き物を出してくれた。テーブルに座ると、彼女は立ったままずっとこっちを見ている。深い意味はなく、手招きして彼女を呼び、向かいの席に座らせた。名前はラン。24歳。

お互いたどたどしい英語の会話は、それなりに盛り上がり、翌朝、朝食デートに誘うことに成功した。翌朝5時、ランさんはバイクにまたがり、ワインレッドのシックなアオザイ姿で現れた。後部座席に乗せてもらうと、バイクでひとっ走り。屋台で香草山盛りのベトナムうどん(フォー)をすすり合った。

「ホテルにバレるとうるさいから」と、帰りはホテルの近くでバイクを降りた。電話番号を交換して別れたが、帰国後に電話をしても連絡は取れず、いまに至っている。以来、アオザイという美しい民族衣装と、それをまとった女性たちへの興味と関心、愛慕のような気持ちは膨らみ続け、公私にわたりベトナムから足抜けできない理由のひとつになった。

南部の片田舎で一度、真っ白いアオザイを着た女子高生たちが自転車でにぎやかに集団登校するところに出くわした。天女の団体さんが空から舞い降り、おしゃべりしながらペダルをこいでいるかのような光景で、感動のあまり身体が動かなくなった。薄衣一枚の上着はスリットが深く、脇腹がのぞいて見えるうえ、ボディラインも、下着の線、色もごまかしようがない。なのに、塵ひと粒のいやらしさも情動も一切感じない。チャイナドレスの明け透けさ、露骨さもない。こんな民族衣装は、世界中にアオザイくらいだろう。

アオザイは本来、フルオーダーメイドの衣装で、全身約20カ所も採寸し、身体ピッタリに縫い上げる。観光客向けのセミオーダーもあり、安いものは一晩20ドルくらいで作ってくれる。ところが、まずもって、胸やお尻の大きな外国人には似合わないし、体格のよくなったベトナム女性も最近は着こなしが難しいと聞く。

外国人のアオザイ姿が似合う、似合わないは、別に筆者の趣味の問題ではなく、40年以上も前に「ベトナムとベトナム人を最も愛した日本人」といわれたジャーナリストも指摘している。元産経新聞サイゴン支局長、近藤紘一さんだ。第10回大宅壮一ノンフィクション賞(1979年)に輝いた近藤さんの名作「サイゴンから来た妻と娘」に、こうある。

「サイゴンにいた頃、よく筋骨たくましい米国の婦人が面白がって着用しているのを見た。ゴリラが襦袢(じゅばん)を羽織っているようで、とても見られたものではない。最大の要諦は腰のくびれらしいが、いくらコントラバスでも鳩胸出っ尻ではダメなのだ。逆に、胸や腰が薄すぎても、かえって体の貧弱さが強調され、さまにならない」

では、どんな体型なら着こなせるのか。

「要するに背は高からず低からず、肩はほどほどにやさしく、おっぱいも大きからず小さからず、腰はキュッとくびれて、尻は丸く高く、さらに裾からのぞくくるぶしはカモシカのように軽快にーー等々というのが、アオザイを優雅に着るための諸条件であるらしい」。近藤さんがサイゴンで娶った妻ナウさんから聞いた話だろうか。

サイゴンから日本にやってきた長女ユンちゃんが、ナウさんの指示通り、大量のカロリー摂取と、家事手伝いのオンパレードで骨格筋を動かし続け、アオザイ姿に必要な体型を作ったことが同書で紹介されている。民族衣装を優雅に着こなすため、ベトナム女性は歴史的に、何とも涙ぐましい努力の結晶を、あの薄衣の中に織り込んできたわけだ。ただ、体格が大きくなってしまったベトナムの乙女たちが今後どうやって身にまとうのか、アオザイファンの一人として気になるところではある。

◆トップ写真:東京・代々木公園のベトナム・フェスティバル会場で開かれたアオザイショーから(2016年6月/筆者撮影)


のじま・やすひろ 新潟県生まれ。元毎日新聞記者。経済部、政治部、夕刊編集部、社会部などに所属。ベトナム好きが高じて1997年から1年間、ハノイ国家大学に留学。2020年8月、一般社団法人日越協会を設立。現在、同協会代表理事・事務局長。

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